伏見稲荷に行った時の出来事
昨日はブログランキングで2位になり
驚くとともにとても嬉しかったです
読んでくださるかた
ランキングを押してくれる方
ありがとうございます
今日は昨日少し話した
伏見稲荷大社での出来事についてのお話です
そうだ伏見稲荷へ行こう
身体の調子が良かったころ
私は調子が良いのは今だけかもしれないと思い
あちこち旅にでていました
といっても場所は京都や奈良や東京でしたが
この旅の思い出は今も心に残っている楽しい思い出です
私は祖母の事もあり
伏見稲荷へ行こうと思いました
伏見稲荷大社とはこちらになります↓
伏見稲荷に行く前日の話
私は京都に旅で行った時
伏見稲荷大社へご挨拶とお礼をお伝えに行きたいなと思いました
けれど伏見稲荷大社は京都駅からちょっと右下側〈下地図参照)に位置しています
私は奈良にも行こうと思っていたので
奈良への移動の時に伏見稲荷駅で降りてお参りしようと
そういう日程をたてました
その日私は京都駅からみて
上側の方にあるホテルに泊まっていました
伏見稲荷に行く前に近くである
八坂神社や三十三間堂も見たいなと思っていました
鴨川の所を歩くのも好きで
ホテルに泊まっている日の夜
明日行く場所についてスマホで調べたり
わくわくしていました
スマホで調べても伏見稲荷や八坂神社や蓮華王院(三十三間堂)は
写真で見ても素晴らしく
それを実際に目で見れる幸せを感じていました
神様のお知らせ
スピリチュアル的な表現で言えば
神様のお知らせ
または警告
そういった事が身体症状におこったり
家電が壊れたり等スピリチュアル的で言えば
そういう風な捉え方になる出来事がいくつかあります
私は伏見稲荷に行く前日の夜
ホテルでこの現象がおこりました
左足から血が吹き出ました
ホテルの部屋の扉を開けた時に
血が吹き出たのでぶつけたのかなと思いましたが
ぶつけた程度ではでないぐらいの
血の吹き出し方と親指の爪が半分ない
普通に考えたら怪我だろうし
扉にぶつけたのだろう
ですが何故か心はざわざわしはじめます
そして上からの声が降りてきます
「行くな」
「場所を変えろ」
「伏見稲荷だけにしろ」と
伏見稲荷だけ?
私は脳内に降りてくる声に
「予定を変える?」といささか不満げではありました
脳内に降りてくる声は
脳内一人会話してる人のようなものです
統合失調症や幻聴や何かの障害の可能性だってありました
(違うと医者に言われましたが)
だから声と会話できるの知っていても
症状を強めたらいけないと極力会話をしないようにしていたのに
半ば強制的に声は聞こえてくる状態
自分の事を認め受け入れれたはずでした
ですが生きて生活をしていくと
やはり私はどこかで「普通」に憧れてしまったのでしょう
だからこの頃は受け入れようと頑張っていた時期でもあります
場所を変えろ
伏見稲荷だけにしろ
声は止まりません
ホテルの人に頼んで救急医療キットを貰っている時でさえ
声はずっと私に「今すぐ予定を変えろ」と訴えてきました
血が止まらない
救急キットを使っても血はなかなか止まりませんでした
ぶつけた記憶のない膝まで痛みがきます
そして相変わらず声は鳴りやみません
私はここでようやく
「警告」だなと思いました
理由はわからないけれど
他の場所を見に行くのはやめよう
そう心に決めた時指からの出血がピタッと止まります
その様子を目で見て私は身体が冷えるような
ヒヤッとした恐怖もありました
私はすぐにスマホを開き
明日チェックアウト後は
すぐに伏見稲荷に行く予定へ変更しようと
時刻表の確認などして
その日はそのまま眠りにつきました
伏見稲荷へと向かう
遅めのチェックアウトにしていたので
のんびりとご飯を食べ
私は足の怪我もあるのでゆっくりと行動を開始します
(本当ならば今頃八坂神社や三十三間堂を見ていたのに…)
そんな気持ちにもなりましたが
桜も咲いていた時期であったため
景色を見ているのも楽しく
伏見稲荷へついた時はすっかり気持ちも切り替えていました
伏見稲荷ではおもかる石もあります
持ち上げた石の重さを重いと感じるか軽いと感じるか
その感じ方によって願いが叶うかどうかわかると言われています
私はさっそく持ってみました
思っていたより軽くヒョイッと持ち上げれました
私はこの病気は治るかどうか
そう願い持ち上げたのです
だから軽く感じて嬉しかったのを覚えています
伏見稲荷の鳥居
千本鳥居が美しい見どころでもある伏見稲荷
私は鳥居の前で写真を撮りましたが
鳥居の中を歩くと
「これ振り向いたらダメだな」と思いました
途中で振り向いたらダメ
恐らく写真も撮ったらだめ
鳥居をくぐり終わった後
空気が変わったようにも感じられました
何かしらを落とすのかもしれません
ただここでお伝えしたいのは
私はお寺さんや神社でしっかり修行を受けたわけではありません
しがない占い師です
だから自分の感じ方が正解なのかどうか
もしかしたら思い込みの可能性もあります
スピ的思考って思いこむと厄介だと思っているので
私は自分の考え方や感じ方には疑問を持つようにしています
だから伏見稲荷での感じ方も
私はそう思うのだろうくらいの気持ちで過ごしていますし
これは夢珠という一人の占い師の感じ方です
鳴り響く着信音
伏見稲荷が見終わった後
私は鳴り響く着信音に驚きます
お参りしていた時はマナーモードにしていて
気づいてなかったのですが
スマホを見るとかなりの連絡がきています
何かあったのだろうかと恐る恐る見てみると
みんなから「大丈夫?」「無事?」
こんな文面ばかり届いていました
私は何人かに今日行く場所の予定も前もって伝えていたんです
だからそれを知っている人たちから連絡が入っていました
そうして私は知るんです
京都で暴走事故があったことを
行く場所で暴走事故
まさに私が行こうとしていた場所の通り道
そこで車が暴走事故をおこし
複数人を巻き込む事故がおこっていました
予定を変更していなかったら
時間帯的にも巻き込まれていた場所です
私はそこで足の怪我の意味を知ります
まさに足止めでした
かといって事故に合われた方がいらっしゃいます
そういった人には警告がなかったのか
この考え方は失礼ではないのか
そう思ってもしまいます
だから私は
たまたま足の怪我をして
予定を変更したから助かりました
けれどこの出来事は心に残り
伏見稲荷大社様にも心からお礼をいたしました
狐様が笑う
私はお参りに来ると基本的には
「ありがとうございます」しか言いません
人って幸せであっても幸せに気づかないものです
今あるすべてに感謝して生きたほうが
良いと私は思っています
朝起きれていることも奇跡なんですよ
当たり前ではないと思っています
欲はきりがないです
欲の渦は息がしにくいものです
感謝だけをお伝えしたいです
神社やお参りに行くと私は像にも目がいきます
お狐様や仏像様やお地蔵様など
その場にいる像には挨拶をしています
すると心なしか笑ってらっしゃるんですよ
目の錯覚
気のせい
そうかもしれません
でも私には笑って見えます
その表情に私は幸せを感じます
だから私は笑顔で挨拶をしていますし
その表情を見るのがとても好きなんです
伏見稲荷大社のお狐様の像は
かっこいいんです
凛々しくもあります
伏見稲荷大社へお参りに行く機会があるならば
お狐様の凛々しいお姿を見てほしいです
お狐様は目でチラッと見てくれるけど基本我関せず
けれど挨拶をすると
くるんって回ってくれたかのように
笑顔で返してくれます
そして挨拶をし感謝を伝えると
身体があたたかくなり
力が沸くような氣をもらえます
気のせいかもしれない
でも気のせいでもいいんです
元気になれたのです
だから私は伏見稲荷大社がとても好きです
願わくばこの身体でもう一度見に行きたいと思って過ごしています
本日も読んでくださりありがとうございます
伏見稲荷大社での出来事
いかがでしたでしょうか
スピ的と表現は賛否両論ありとても難しいものですが
私のスピ的な体験も誰かに面白いと思って
読んでもらえたならば私は嬉しいですが
書き記すことを今私は楽しんでいます
どんな風に思われてもかまいません
私は私におこった出来事を書いていきます
さて明日は病気の話を書いていこうと思います
よろしくお願いいたします
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