パニック障害の芸能人と奈良の話
これまで私のパニック障害について書いてきましたが
今ってパニック障害である芸能人も多いですよね
私はパニック障害である芸能人の堂本剛さんが大好きで推しなのですが
本日は推しの話を書いていきたいと思います
今もとても人気のある堂本剛さんですが
パニック障害を発症しているとご本人が告白していますよね
私は症状がつらい時期
死にたいというより消えたいと思いながら日々を過ごしていました
そんな時に堂本剛さんのことを知りました
私はTVもあまり見ないように生活していました
TVを見ない理由はTVは脳内刺激になりパニック発作を誘発する時が稀にあったからです
TVも思うように見れないため堂本剛さんを知ったのは世間的にいえば遅いほうでした
もうその頃には堂本剛さんはソロ活動もしていました
大ヒット曲である「街」など
人の心に響く曲を作詞作曲し歌っています
私はその歌声が気になり耳に残りました
普段TVもみないし曲もあまり聞かない私だったので
「曲が聞ける」のはとても珍しい事でもありました
当時パニック発症したての私には音は辛いものでもありました
今はもうそんなことはありませんが
音や人の声ですぐに発作が誘発されるほど脳内神経が過敏になっていたんです
音が聴けるということ
パニック障害は暑さ寒さといったものだけじゃなく
音による脳内刺激でも発作がおきやすかったです
でも発作がおこりそれを治める時にも脳内への刺激が必要であるので
脳内刺激からずっと離れていればいいといったものでもありません
脳の誤作動でおこっているような発作なので
対処のしようがないんです
そしてこの音に過敏になってしまうのは深刻で辛い症状でもありました
例えば音や光に敏感な状態は発達障害や自閉症の感覚過敏にも似ています
ですので大人になってから発達障害の検査も受けていますが私は違ったようです
私の場合はパニック発作発症時期から数年が一番音に過敏だったと思います
症状が落ち着いている時期にはカラオケで歌えたしライブにも行けました
でもこの音に過敏である時期に受け入れれた歌声と曲が堂本剛さんだけだったんです
パニック障害であると知る
私は娯楽に飢えていたこともあり唯一聴ける堂本剛さんの曲にハマっていきます
堂本剛さんのおかげで音楽は発作を誘発させる怖いものだったのが
癒されるものへとかわっていきました
そして私は堂本剛さんが同じパニック障害であることを知りました
それを知った時「だからこういう曲を作曲できるのか」と思いました
たぶん堂本剛さんもパニック障害であるから
脳に心地よい音で作曲したと思うんですよね
それは結局パニック持ちにも心地よい曲になった
ただ堂本剛さんの作曲や作詞は
心に訴えかけるものも多いので苦手だと思う方も多いのは知っています
私にはそれが当てはまりませんでした
私にとっては心地よい落ち着ける曲だったで癒しであり救いでした
そしてパニック障害である堂本剛さんが
ステージの上でライブをしている
TVにでてお仕事をしている
パニック障害で外出困難になっていた私にとって
堂本剛さんの姿は輝いてみえました
頑張ってらっしゃるんだなって、このどうにもできない症状と戦っているんだなと思いました
その姿は将来に絶望していた学生の私にとって勇気を与えてくれました
そして希望の光にもなったんです
パニック障害でも頑張ってる人がいる
パニック発作はそばに誰かいてくれたとしても結局は孤独な戦いです
「どうしてこんな苦しまなきゃいけないんだ」とか
「なんで私がこんな病気に」とか
ひどく恨んだし絶望したし病気を受け入れられなかった
病気を知らない時の健康な体に戻りたかった
けれど過去には戻れません
治ったとしても結局は病気を知った後の身体ではありますよね
もう何も考えずに朝起きて外に出れていた時に私は戻れません
それが本当に絶望でした
健康は宝です
今何も気にせず外に出ていたとしてもある日急に外にでれなくなる
そんな事がこの世にはあるんです
それは事故とかと一緒で元気でいた人が突然死ぬとか
‘こんなことになるとは思わなかった’という状態です
頭ではそういう想定外なことはこの世にあるんだってわかっていても
いざ自分がそうなるといかに昔の健康な私は平和に過ごしていたのかがわかります
「死んでないだけましだよ」と人にいわれたこともあります
確かに死んだ人と比べるとそうなりますよね
私はこういった言葉も周囲から言われてきたので
病気について人とネガティブ比較しないことにしました
誰だって自分の病気が一番大変で苦しいんです
それを誰かと比較しネガティブに受けとり
私はあの人よりましなほうだとか、あの人よりは大丈夫だとか
思わなくていいし思っちゃだめだなと思いました
人の苦しみを勝手にジャッジするのは怖い事です
私は「健康」で「普通に外出できること」をうらやましいとは思ってはいたけど
「健康」で「外出できること」が誰かにとっては幸せとは限らないんです
人の幸せは人それぞれです
健康は宝ですが幸せかどうかは人それぞれ
外出先で嫌な目にあってる人は病気になりたい外に行きたくないと願ったりもするんです
自分にとっての幸せは必ずしも相手も幸せであるとは限りません
自分の価値観の基準で羨ましいという感情も持ちたくないなと思っていますが
これがなかなか難しいんですが
ありのままを受け入れるように生きています
話が逸れてしまいましたが
私は孤独な戦いであるパニック障害の日々を
堂本剛さんの存在と生き方に救われて
発作中も「同じ病気である剛さんも頑張っている」と思って乗り越えてきました
これもある意味比較だとは思うんです
でもポジティブな比較です
ネガティブな比較だと「なんで堂本剛さんは働けているのに私は働けないんだ」となります
だから人と比較したとしてもポジティブ比較だと心に勇気がわくんです
比較も使い方によってはプラスになりますね
奈良出身の堂本剛さん
堂本剛さんは奈良県出身のアイドルなのですが
私はその奈良に興味がわきました
病気で修学旅行も断念してきた私です
同級生のほとんどが海外や京都や奈良に行っています
だから私は病気が治ったり落ち着いた時がきたら
絶対奈良に行くぞとそれだけを目標に部屋の隅で発作に苦しみながらある日決意しました
直接堂本剛さんに感謝を伝えることはできないので
奈良の神社やお寺さんに「ありがとうございます」とお伝え出来たらないいなと思いました
そう決めて私は外出練習からはじめます
まずは玄関に行くこと
玄関の外へは震えて出れないし発作をおこすので家の中の玄関に行くのが最初の一歩でした
健康であれば何も考えず玄関に行けますが私にはそれができなかった
むしろ部屋から出れなかった
トイレに行くことすら死ぬんじゃないかという恐怖で予期不安による不安障害も併発していたので身動きができなくなっていた
生きる希望も楽しみ無い中で見つけた目標
私は奈良に行くためだけに生きるのを頑張ろうと決めました
そして数年たってやっと私は目標の奈良へ行けました
堂本剛さんへの感謝に加え
自分自身への感謝
身内への感謝
ご先祖様への感謝
神仏への感謝
最初は堂本剛さんだけへの感謝だった
でも違ったんです
私は奈良に行ったことで
心からの感謝の旅になったんです
明日からは奈良の旅連載になります
本日も読んでくださりありがとうございました
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