當麻寺中乃坊へ
おふさ観音の次に向かった場所は當麻寺中乃坊です
ここのお寺さんは曼荼羅が有名なのか
素敵な曼荼羅がたくさん置いてありました
私はここで曼荼羅をひとつ購入しました
ただこちらも大安寺と同じようにイベントをやってらしたのでしょう
人が多かったためのんびり見て回るというような感じではなかったので
私は参拝し御朱印をいただいたあと早めにこのお寺さんを後にしました
當麻寺中乃坊は女性の健康を守護してくれるそうで
女性の参拝客が多かったです
こちらも公式チャンネルがありました
興味のあるかたのぞいてみてね
矢田寺金峯山寺
そして次に向かったのは矢田寺金峯山寺です
大和八木から近鉄郡山まで行きバスで金剛山寺の近くまで向かいました
ただここ…物凄い坂道を登りました
さすがに一日でお寺さんを回りすぎたせいで
私の足はもう大変なことになっています
こちらのお寺さん私の行き方が悪かったのか
ものすごい山道歩くんです
山の上からの景色は絶景で途中畑のようなものも見えました
修行する方もよくこられるお寺さんのようですが
なんかこう今までのお寺さんの全員ウェルカムみたいな雰囲気とは違いまして
人を選ぶと申しましょうか
参拝客を厳しく見ているようなそんな印象を受けるお寺さんでした
私は思いがけず山道のような場所を歩くことになり
足が棒のようになってしまいましたが
たぶんこの道から行かないとダメなんだろうなとも思ったんですよね
でも何故でしょうか
お寺さんに辿り着いてしまうと嬉しさで足の痛みなど忘れるし
息切れもしてた身体の辛さがすーーーっと軽くなるんです
バスの時間もあるため金峯山寺は少ししかお参りできませんでした
ホテルでゆっくり休んだ
お寺さんを一気に回った私はさすがにホテルへと戻りました
ご飯を食べて温泉に入り足のマッサージをして早めに眠ります
旅はあと二日で終わります
1新薬師寺
2西大寺
3宝山寺
4長弓寺
5長岳寺
6大安寺
7安倍文殊院
8おふさ観音
9當麻寺中乃坊
10金峯山寺
私の御朱印は残すところあと3ヶ所になっていました
三ヶ所まわってしまおう
明日には奈良から函館へと帰る
私は今日一気にまわってしまおうと決めました
朝一番に私は円成寺へと向かいました
お寺さんに行くバスの中で隣の席のおばさんに話かけられます
円成寺に行くことを伝えたら「次で降りたほうが近いよ!」と教えてもらえて助かりました
色々と奈良の事をお話して下さり
私に対して「一人旅なんてお母さん心配してるね」という言葉をもらいました
「成人してますよ」と返したところ
「成人していても、いつでも子供は子供なんだよ、だから心配なんだよ」って
「お母さんに親に感謝だね」って言葉をもらいました
親への感謝の想いを
また再確認できたバスの道のりでした
お寺さんにつき大日如来さんを見た後参拝しました
するとお寺さんの中に入れるようなので仏様に
「おじゃまします」と行って中へと入りました
拝んだ後仏さまと見つめあいながら色々想いを巡らし数分たってたでしょうか
ふと右をみてみると上品そうなおばさまが座ってらっしゃいました
凄く綺麗なおばさまで静かにそこに座ってらっしゃいました
右をみるまで気配を感じなかったので思わず
「びっくりした・・・」と声にだしていってしまいました
その私の言葉を聞いて微笑みかけてくれたおばさんの前に座ります
そして私はまた初対面の方と色んなお話をしました
北海道からきたことと感謝を伝えるため御朱印巡りしてることを伝えました
上品なおばさまはすごい笑顔で話を聞いてくださいます
そして私に対しておばさまはこう言いました
「さっきおじゃましますと言ったのは仏様にいったでしょ?私は参拝に来た方達の
仏様との会話の邪魔をしないようにここで静かにしているの」とおばさまは微笑みます
奈良でのたくさんの人たちとの出会いは私の一生の宝物になると思います
こちらのおばさまは本当に気配もなく
ただただそこにニコニコと座ってらっしゃったので
今思うとこの世の人だったのだろうかとちょっと思うことはあるのですが
感謝をお伝えし拝むことをとても喜んでくださって
「ありがとうございます」という言葉は光になるともおっしゃっていました
誰かを思い心をこめて伝える愛の感情は
きっと光となり自身を守るものとなり
またその光は自身と関わっているものすべての光になるのだろうなと
そんなことを思ったりもしました
今って時代が移り変わっていますよね
今までの常識がすべて変わっていっている感じで
辛いニュースも多いですよね
今は風の時代とも呼ばれていますが
誰もが困惑し不安になり生活をしていくうえでのストレスは多く
それを吐き出す場所もない
だから普段なら怒らないような事でも怒ってしまったり
妙にイライラしがちだったり
遊んでいても頭の片隅には病気への不安があったり
他者を思いやる余裕がないような気もします
SNSが身近になり
他者の心の闇や裏の声も目に入るようになってしまった
「ありがとう」や「嬉しい」という言葉は
「偽善」や「いい人ぶっている」など
そういった言葉で消されてしまうようになってしまった
心が泣いていても
他者と比較して「私はまだまだ大丈夫」と思ってしまうようになってしまった
目の前の人を見れていますか
自分自身を見れていますか
「ありがとう」を自分にも伝えていますか
私は奈良での旅があったので
「ありがとう」を忘れないように生活をしていますが
それでもやっぱりイライラしてしまう時もあるし
自分自身に優しくできな日もあります
自分へ
家族へ
まわりへ
ご先祖様へ
ありがとうを伝える時間って大事だと思っています
たまにはスマホを置いて
のんびりと自分自身の身体に「ありがとう」といって撫でてみるのも
いいかもしれませんよ
明日はとうとう御朱印を集め終わる日の話です
本日も読んでくださりありがとうございました
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