御朱印
御朱印も集め終わり私は最後の奈良の夜を過ごしていました
ホテルまで向かう電車と道の景色を忘れないように目に焼き付けていました
当たり前のことだけれど
ここですれ違っている電車の乗客や
ここにいる人たちとは誰とも明日は会うことはありません
明日ここを歩くこともありません
「いつか」というわからない日まで
この場所からはさよならなんです
その「いつか」ほど不確定なものはないけれど
私が奈良を思い出すときは一緒に思い出す人と場所と言葉がある
思い出すたびにその時の奈良が頭の奥に浮かぶ
明日になったら私は早くに空港に向かわないといけない
朝8時にはホテル前から高速バスに乗らないといけない
帰りたくないさみしいと思えるほどの出会いと旅に感謝です
さみしい気持ちができたのは
この場所にいて幸福を感じたからなのだと改めて思います
そしてホテルで帰り支度をしながら最後に御朱印帳を入れました
大切な宝物を私は手に入れる事ができました
そして次の日
奈良での最終日は朝から小雨が降っていました
奈良最終日
せめてぎりぎりまで奈良の街をみていたい
そう思った私は早朝から街を歩いていました
けれど残念ながら雨が激しくなってきたので喫茶店に入ります
そこのお店でしか使えない割引券を貰いました
もう使えないけれど私は財布へといれておきました
期限もあるし
北国に帰るから
これを使うことはないけれど
また奈良にきてくださいといわれたみたいで嬉しかった
温かい飲み物を飲んでいると高速バスがホテル前に到着したのが喫茶店からみえました
持ち帰るOKな飲み物なのでそのまますぐにバス停へ向かって一番後ろの席に座ります
そしてバスは空港に向けて走り出しました
奈良にきたのは奈良出身の堂本剛さんに救われたからです
あの時出会わなければ私は自らこの世から消えていたのではないかと思うことがあります
そんな事を冗談まじりに今は話せるけれど
「病」って残酷で
「心の病」というのは世間からは我儘にも思われてしまいます
ベットにいて震えていた時期があった私です
当時は脳神経が原因という情報が少なく
ほとんどが「心」が原因といわれていて「メンヘラ」に思われる事もありました
「自分の心」をどうにもできない「自分」を責めていました
「大丈夫だ、信じてる」
そう周りから優しくされればされるほど、申し訳ない気持ちになりました
けれど私が発作をおこすと優しかった人たちはだんだんと症状がでるたび
「また?」と言ってきます
パニック発作をパフォーマンスと思われていました
メンヘラのパフォーマンスですね
「大丈夫だ、いつか治る」と
自分にずっといいきかせて頑張ってきました
けれど一向に良くはならず
支えてくれている家族にも申し訳なくなり
また自分が憎くなりました
受けいれてくれる家族がいたのに「私が私を」受け入れれませんでした
「おかしくなった」と言われる症状は
自分が痛いほど自覚しています
けどそれが私だと認めたくなかった
自分で自分のおかしさを感じてたけどどうにもならなかった
だから本当に最期を考えた
生きていくにはお金が必要
残酷だけどこの世の中はそうなっています
病院代金に半分以上の給料は消えていきますよね
趣味をみつけても発作と病院ばかりで意味がなくなってました
点滴で腕は青くなり薬で身体はぼろぼろでした
最終的に薬を飲むとある反応がでるようになり
薬を使えない身体になってしまいました
長い年月で症状は治まってきたけれど
「いつくる」かわからない発作だったので毎日不安でした
でも出歩けてはいるので「治った」と周りも友達も思っています
きわめて普通にみえる病気ですから仕方のない事です
旅で持ち歩いていた安心材料
この時の奈良の旅で私が持ち歩いていたものは
耳栓・水分・薬・ガム・肌水・チョコ・緊急連絡先・薬の説明書
いつどこでなにがおこっても
そこに相手がいたら相手に迷惑をかけないように自分で対処できるように持ち歩いていました
そして忘れてはいけないのは
私が生きているのは私が頑張ったからではなく家族が支えてくれたからです
本当に私が独りなら生きていません
時には残酷な言葉をもらうこともあります
ですがそれもその人の価値観です
ってもうさんざんブログに書いてきたことではあるのですが
パニック障害で一人旅をするという挑戦は
ものすごい恐怖との戦いでもあったんです
色々あった中でやっと奈良にこれました
来れて良かったです
一人旅にしてよかったです
高速バスのなかで大好きな堂本剛さんの曲を聞きながら
奈良の風景を窓からみました
窓からの景色は私が歩いた道でした
「天理」に「桜井」
看板にある街名がわかります
行く先々の神様仏様に「ありがとうございます」と伝えれた旅
そして飛行機の時間がやってきます
飛行機はあっというまでさっきまで奈良にいたのに
二時間後には地元の空港にいました
本当に奈良にいったんだよな・・・?という気持ちになるぐらい早かったです
うまくまとめれないしまとめることもできない旅ではあったのですが
けど行けてよかった、生きててよかった
この旅をもし一言であらわせといわれたら
「縁」とか「愛」かもしれないんですが
やっぱり思い浮かびません
「愛があるから、生きている」
「辛い日があったからこそ、幸せがある」
当たり前のように言われて聞いてきた名言
確かにそのとおりだなと思えました
今まで感じてきたことのすべてが何かに繋がり
いつか幸せへとかわるのだとしたら私は今日も今を生きていけます
出会いに感謝を
そしてこの旅日記を読んでくださる方にも感謝をお伝えしたいです
ありがとうございます
奈良スピ体験
奈良で龍神のような雲を見たり
人ではないような人に出会ったり
そんなこともありました
他にもあったのかと言われると
お寺さんをまわったからなのでしょうか
身体が奈良に行く前よりとても軽くなりました
それとこの頃から上からの声(高次元の存在)が
ハッキリとしました
ちなみに最近私に聞こえる上からの声は
「筋肉つけろ」
「動け」
「体力つけろ」
という指導が多いです
「治る、やれ」と言われているので
やらなきゃなあと思ってます
あと伝えられるのは
「流されるな」
「軸を持て」
「自分を信じろ」という背中を押してくれるようなものと
ものすごい哲学的な事もおっしゃってきます
「流れた先にあるものが本当に欲しい物か手に入れたいものか考えよ」
「この先時がかわる、災害ではない浄化である」
「生きるとは何か真理を知っているのを思い出せ問いかけろ」
など
どうしてこう威圧感ある言葉ばかりなんでしょうね
他の霊能者の方もこうなのかな?
会話をしちゃだめだと長い間思ってきたので
私は高次元の存在を受け入れるのにだいぶ時間がかかりました
病気かもしれない
けれどもう物心ついた時からこうなのだから
私は一生こうなのだろう
たくさん病院にも行ってきました
統合失調症や発達障害や妄想性パーソナリティ障害の可能性もあるものだから
ただ自我を失う事はなかったのだから
このまま高次元の存在を受け入れ会話し
それを伝えていこうと今は思っています
奈良のお話を読んでくださりありがとうございました
明日からは通常のブログに戻りますね
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